今日

友達がいない。昨年まで自分には両手じゃ数え切れないほどの友人がいると思ってた。

飛んでゼロになった。昨日の夜はそれでずっと泣いていて寝られなかった。寝られないのはいつものことだ。別にいいのだが、なんか辛くて友人間のライングループを抜けた。どうでもよかった。そいつらしか「友達」がいないみたいな自分が嫌だった。女々しい、別に一緒にいても楽しくない人間。そいつといると私はすごく負い目を感じるし、よかったね、すごいね、って言って自分の気持ちを見ないようにするしかできない。自分がすごく惨めに感じる。男の子は嫌いなんだよ。気持ち悪い。ブリーチとかクリープハイプとか彼女とかの話ばっかしとるでしょ、気持ち悪い。で、恋人のいない私にマウントしてくるだけ。結局程よく見下したいんだよ、そのための人材として私をグループに入れてる。

いろんな人に迷惑をかけてしまうから人の時間を奪わないようにしよう。っていろんな人との間をふらふらして、で、結局一人すら宿になってくれる人がいなくなった。1日でいい。雨宿りをさせてくれ。それだけなのに。延々と続くのだろうな、こういうことは。誰にも踏み込めない。居場所を無理やり作ることができない。

昨日は家出した日のことを思い出していた。いなくなっても誰も追いかけてくれないんだ、探してくれないんだ、って気づいた日のことだった。高校のスキー合宿から家に帰宅して、疲れている時に父親から関係のないことで罵倒され、生きていられなくなった。その時は中国の拷問は牛に四肢を引き裂かれるんだぞとか、バカみたいに私と関係ないことで罵倒され続けた。死ねよと思った。頭が狂いそうだった。携帯を家において、家から出て、暗い田んぼ道を走り続けた。新潟の2月の夜、たどり着いたスーパーのフードコートで寒さに震えていた。足元はサンダルで、上は薄い黒のパーカーだった。行くあてがなかった、苦しかった。そしてその時の気持ちはこれから先もずっとそうなのだろうと今は感じる。

バスも電車もなかったから、川に入って死のうと思った。あのときどうしたら正解だったのだろう。警察が見つけてくれなかったら、そのまま凍えて朝を迎えていたのかな。今もずっと本当は誰かに見つけてもらいたがっている。探してもらいたがっている。それでも今は丈夫な人間みたいな顔して明るく振舞っている。

人は最後まで孤独なのだからそれでいいのだが、たまにどうにも耐え難くなってしまう。未熟だから、仕方がない。自分一人で全てを補完できる人間なんて、それこそ悲しいはずなのに、人間味や苦しさから目を背けて私はそれを求めている。苦しみから逃げるために。苦しみすら感じないような人間になることを求めてる。